大澤信亮「復活の批評」をきっかけに考えたこと。

 『文学界』の2010年3月号に掲載されている大澤信亮氏の「復活の批評」を読んだ。一言でいうと、批評を再起動させる場所の確認作業、といえるだろうか。

 近年、批評というジャンルの内側で、批評の対象とするコンテンツの違いによる新旧の情報戦が活発化しているようにも見える。そのことは、既得権益の切り崩しとも重なってみえたり、インターネットの発達によるメディア環境の変化ともシンクロしていることもあり、表象的にも商業的にも大澤氏が批判する勢力の方が順調に見える展開があるのではないかと思う。ネットコミュニティやオタクコミュニティを一つの基盤としていること、そのことが「新しい批評」の言葉が「ゲーム」において有利な理由でもあるだろう。

 大澤氏が批評を発する場所は「私小説的」なのだ。この「私小説的」という言葉にネガティブな意味を持つ人は多いと思う。けれども、この「私小説的」という言葉と自閉することとはイコールの関係ではない。なぜなら、「この私」であることはすべての人にとって、共通することでもあるからだ。そしてその、交換不可能な「この私」から批評を始めるということ、内省から自らを貫き拘束するものを視覚化し把握し破壊し解き放つ思考へと向かうこと。それはもともとは確かに批評が近代日本文学(つまり私小説≒純文学)への批評であった頃の環境に規定されたものではあった。
 けれども、それが現在、完全に役割を失効してしまったということは意味しないのではないだろうか。人の生き死にや苦悩、そしてその未来に関わる批評。大澤氏が再起動を望む批評はそのような批評であるのだろう。

 確かに近代日本文学の時代から世の中は大きく変化している。「この私」の「この場所」から始まったはずの言葉は、容易に既存の勢力と癒着し陳腐化してしまった感はやはり否めないし、ただその発見の場所と論の方向性にのみ実存がわずかに反映しているかのようなアーキテクチャ系批評の言葉が、時代に密着した現実的な言葉とされる根拠も分かる。

 ポップカルチャーを批評の対象とすることについて大澤氏は、「マンガやアニメやテレビドラマといった対象の貧しさ」と表現しているように、真に「この私」の「この場所」から発せられる言葉にとって、それらを批評の対象とすることは価値のないもの考えているように思われる。
 この点においては、ネット上でも当然のごとく、様々な違和感の表明を見かけた。もちろん、僕個人もその表現にはやはり問題が含まれていると思う。それは、大澤氏自身が重要視する「他者」に対する眼差しへの配慮がこの表現には欠けているのではないかと思うからだ。(感情のフックを作るために意図的にこの表現を選んだのだとしたら、ネットにおける批判の多くはその「釣り」に引っかかったわけだが。。)
 この箇所は、宇野常寛氏への批判としての表現となっている。なのだが、やはり宇野氏に対する批判としてポップカルチャーを扱うということを理由の一つにしてしまうのは危険だと思う。それは結果的に宇野氏の闘争の物語化に加担することになると思うし、その対象を批判することは余計な反感を買ってしまうのは目に見えているからだ。つまり2項対立を強化してしまう。ここが、今回、論壇における政治的な振る舞いに利用されかねない点であるだろう。大澤氏自身が表明しているように派閥争いのように図式化されることを避けためには、やはり適切ではない表現だったのではないだろうか。

 ただやはり大澤氏の宇野氏への見解にはある程度の妥当性はあるのではないかとに思った。というのは、宇野氏は古い価値に寄って立つもの、時代の先端の現象に合致していないものたちを屠ろうとする態度を取る。そのパフォーマンスによって、一定の人気を集めているのだ。けれども、その抹消への志向性は何処から来て何処に行き着くのだろうか。現状は確かにそうなっている。そしてそれを言語化すること。そのことは重要な仕事だと思う。
 けれども、それは基本的に現状追認に過ぎない。そのような状況を宇野氏はどう考えどうしたいのか。現状追認の後、生き残るためのゲームに没頭するのであれば、それそこ閉じた「実存」になりかねないのではないだろうか。
 自らに突き刺さるシステムの残余(つまり「この私」)を糧に世の中を変えていく原動力にしていくこと。そのことは批評の役割と考える人がいるのはそれなりに妥当性があるし重要なことだとも思う。東浩紀氏の現在の活動の根底にはそれがあるから強いのだ。つまり、大澤氏の批評のパラダイムにおいては宇野氏も批評家として向き合うべき問題に向き合っていないのではないか、とも思われるのだ。

 そう考えると大澤氏にも戦略が必要な面もあるのではないだろうかと思えてくる。その一つが、自らの文章を世に出す時の媒体の選択についてだ。もしかしたら、この文章は「文学界」ではなく、「フリーターズフリー」に書かれるべきものだったのかもしれない。

 結果、大澤氏が「文学界」に媒体を選択したということは彼自身が批判するこの情報戦のゲームボードに彼自身も乗ったことを意味するものでもあるのだろうか。