オルタナティブカルチャーの源流からみる「素人の乱」と「渋家」について。

もともと僕がシェアハウスに住み始めたのは東中野にある「沈没ハウス」というところなのだけれども、そこは成立の由来として90年代にちょっと流行った「だめ連」というのがありました。もともとだめ連って、働きたくないしお金もできるだけ使いたくないっていう、いってみれば貨幣経済システムから外れたところでコミュニティや文化を作っていこうという運動でもあったと思うのだけれども、そのこともあり、やはりお金の力を行使することに関して、嫌悪感というか罪悪感のようなものが多少なりとも働いていたと思います。コミュニティの内部の倫理的なものとして。けれどもそれは、だめ連がサスティナブルなムーブメントにすることを困難にした側面もあると思っているのです。そして、その問題解決には次世代の登場を待つことになります。

もちろん、だめ連が貨幣経済への感覚が薄かったことには時代的な背景があります。その頃はまだ、バブル景気の香りがまだ残っていて「まあ、何とかなるんじゃね?」っていう空気が立ちこめていました。そのことは、だめ連の本を読んでみると分かります。今読んでみると、ふざけている余裕がまだあった時代なんだなー、と感慨深いです。


だめ連の働かないで生きるには?!


日本のオルタナティブカルチャーの歴史の中で、その次世代にあたるのが「素人の乱」だといってもいいでしょう。文化背景や人脈的にもだめ連と多くの繋がりを持っていますが、素人の乱は高円寺を中心に実際に店舗を構え、自前の経済圏を形成しようとしました。コミュニティを貨幣経済の循環システムも含めて生成しようとするその姿勢のようなものにはとても好感が持てます。


貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法


さて、けれども、ここからは個人的な感覚の問題なのですが、僕はその界隈の言語感覚というか身体感覚というかそういうのがあまり合いません。何となく、居心地が悪い。それはたぶん、そこに思想的な紐帯が強く機能して「場」を生成しているように感じるからだと思います。いってみれば、だめ連から素人の乱へと継続されているオルタナティブカルチャーにおけるコミュニティの変遷は、日本における宗教(イデオロギー)的コミュニティ形成の変遷として捉えることもできるのではないでしょうか。たぶん、そこが僕の肌に合わない理由なのではないかと考えているのです。これはまったくdisではありません。色々あっていいし、世界的にみてもその方がコミュニティ形成のマジョリティでしょう。ただ、僕はその他の道も模索してみたい。

んで、「渋家」です。ここは思想的なバックグラウンドは問われない場所です(たぶん)。そして、貨幣経済への参入にもアレルギーがありません。そのことはお金にとらわれているからではなくて、反対に部分的なものとしてしか捉えてないからそうなのだと思うです。反対に嫌悪感を持つということは、それにとらわれているということでもあるのではないでしょうか。利用できるものは利用する、その良い部分と悪い部分をちゃんと見て考える。その方が、様々に内包された可能性を活かすことにも繋がるのではないでしょうか。もちろん、全てを道具としてではなく、目的として扱うことを前提として。