「赤木智弘さん、自らの今を語る」(仮)(インタビュー前半を公開)。

2010年1月26日に行われた模索舎展示即売会inあかねでのイベントで語られた内容をこちらに掲載します。
これは全体の約3分の1くらいの分量です。

全文は今年5月に発売予定の同人誌にて公開予定。
この後にもエキサイティングな議論が続きます!!


赤木智弘さん、自らの今を語る」(仮)

中川康雄(以下、中川):赤木さんは一見、オルタナティヴ系に近いところにいる方でありながら、ちょっとそこから距離を置いている風に見えるんですね。その辺の違いとかも実際に会って話して聞いてみたいなっというのがあったりとか、あとまあ、昔で言えば「丸山真男をひっぱたきたい」とか非常に明確な論点というか主張みたいなことがあってそれでデビューされたと思うのですが、今、赤木さんがどういうことを考えているのかと。そしてこれからどうしていきたいのかとか、そういう話ができたなと思って今回ゲストとしてお呼びしたという次第です。
今日、会場に来られている観客たちは、若き…なんていうんだろう…文化的には文化左派系といっていいのかな?その辺の人とか、twitterつながりだとか、批評のブログや同人誌を作ってる人とか、そういう人たちです。
で、早速ですけど赤木さんからまずはちょっと自分の考えている非常に重要なことだとか問題意識の中心だとかをお話いただけたらと思います。
赤木智弘(以下、赤木):そうですねー、何だろ、問題意識の中心。。今、永らく貧困の話をやってきたんですけれども、ただもう、何となくその先が見えてしまっているというか、貧困問題については、ようやくもう最近になって若い経済学者や政治学者だとかそうした人たちが発言してきていて、ある意味もう、そういう風にしてしまえばとりあえずは大丈夫、細かい部分ではいくらでもあるけれどもベーシックインカムだとかそういったことを明確にやっていく意思さえこの国の中にあれば出来るんじゃないかなと思っているわけですよ。ある意味でそこでずっと俺がやっていくことというのはと早くやってしまえと尻馬を叩くことくらししか、もう今のところはないのではないかと思っていますね。
だからまあ一応一度、そこから離れてちょっと別のことをやりたいと思っている。で、ちょっとまあ話として出ているのはルポを中心に人に話を聞いてそれをまとめていくっていうことをやっていこうと思ってます。自分の主張よりも他人の考え方というのを聞いて、それを世の中に出していく、っていう方向性で次はやっていこうかなと思っています。
中川:赤木さんはデビュー当初から自分の実存と社会の問題を重ね合わせる形で論を展開してきたと思うんですけれども、ここにきて、ご自身がある意味、一般的なフリーターからみればイケてる感じになってしまってますよね。
赤木:んー、確かにねー、収入は中々あれなんですけど立場としてはね、だいぶ離れてしまったところはあるりますね。
中川:実際、今っていうのはアルバイト、前はコンビニで働いてたと聞いているんですけれども、今のそのアルバイトというのは続けているんですか?
赤木:いや、今は。。
中川:フリーライターで食べている。。
赤木:はい、何とかぎりぎりですけれども。
中川:で、ひとつの問題意識としてどういうものがあるんだろうって気になるのは、当事者性をある種の売りにして自分の武器としてデビューしたところから、そのいわゆる当事者性から離れてしまう危険性というのがあると思うのです。フリーターからフリーライターっていう立場、立ち居地に変わってしまう。それによって言説がこう変容してくるとうことがあるんだと思うんですけれども、その辺に赤木さんがどういうふうな対応をしているのかが、すごく気になるところです。
赤木:えっと、そこに変容するのはある意味仕方ない、自分の当事者性っていうことをまず前提に考えればそれは仕方ないことではあると。ただ、なんだろう。。じゃあ、当事者性がないからといって、当事者性の無い人が貧困問題を考えちゃいけないというわけでもないし、逆に言えば貧困問題から出てきたからこそ、もっていける立場もあるわけですよね。いわゆる普通の会社員であるジャーナリストとかいう人たちとはまた出自が違うわけで、そういうところで自分のもっているものを何とか生かそうとすれば、まあ、立場が変わってももともと持っているもの自体はやっぱし、ずっと付いて回るんですね。ずっと元フリーターだしね。生粋のジャーナリストではないんですよ。だからそれを持ってってそうしたものをまた他のところにぶつけた時に何か新しいものが出来てくるんじゃないかな思っています。
中川:当時はいってみればある種のこの希望のない社会の中でずっと暮らしてしまう、この平坦な世界の中で暮らしていってしまうんであれば、それならばドラスティックな変化みたいのを望んで、まあ自分だったらそちらに乗るだろうみたいな話だったと思うんですけれども、今の心境としてはその部分に変化っていうのはあるんですか?
赤木:そうですね。単純に希望は戦争だとははっきりとは明言できないですけれども、ただやっぱりそこからでてきたってことは切り離せないし、今でもそれはまだありますよね。別に裕福になったわけではないと、立場は変わってしまったけれども。うん、まだ全然裕福じゃないし。でもなんか自分としては企画とか作ればそれなりに稼げるところにきてしまったので、そうすると当事者性ということを考えてしまうと単純に希望は戦争といったって嘘になっちゃうんですよね。
中川:ポーズにしかならない。
赤木:うん、けれども他の人はそうではないというとこで、なんだろうな、当事者性から出てきてるがゆえに単純にそうはいえないと、思うんですよね。今は単純に希望は戦争といってしまうと嘘になってしまう。その辺は実は悩んでるところなんですよね。これからそれをどうやって持っていくのか、けれども自分の持っている立場というのはある程度マスコミの力とか使えるところにいるので、じゃそれを過去の自分のことを上に持っていくってことは出来ると思うんですよね。だから、そこでなんとかね、あの、うまく衝突を起こせないかなと考えているんですよね。
中川:それはある意味である程度の社会的な包摂みたいなことがデビューの当時よりは行われたと解釈してもよろしいのでしょうか?
赤木:んー、どうですかねー。状況自体はそんなに変わってないと思うんですよ。自分がその立場でなくなったということだけで状況自体は変わってないんでそれを上に伝えるっていうこと、逆にいえばそれしかできないしそれをやっていくと。
中川:情報として伝えていくと。
赤木:だから単純に今の非正規労働者たちとかそういう人たちに対して、希望は持てるなんてことをさらに言えないわけですから、「やっぱし希望は戦争だ」、みたいなドラスティックな変化を求めるしかないということは念頭に置きつつ、けれども自分の立場として違うものがありながら、っていうすごい複雑なところ落ち込んでいるですよね。なかなかそれを自分の言論で解消するっていうのは今ちょっと出来そうにないので、まあ、だからこそ逆にルポとかで人の話を聞いてそこで何か別の変化が起きないかっていうことを目指そうと思っている。なかなかそこは自分ひとりで突破するっていうのはたぶんできないと思う。
会場の観客:すみません。ルポのテーマはどんなテーマを考えてらっしゃるのですか?
赤木:今、話であがっているのは、出版の現状ですね。いわゆる編集者なんかでもフリーの編集者だったり、いろんな出版社でも社員ひとりでほかの周りのみんなは非正規でやっているような状況であったり、まあライターでも食えてなかったりとか、そうしたその貧しかったり厳しかったりするところを取り上げていこうとは思っていますね。

中川:例えば、雨宮かりんさんとの立居地の違いみたいなものはどのように考えられているのですか?
赤木:そうですね、あの、なんだろう。前面に立って動かないというのが一番の違いですよね、やっぱし。
中川:イコンとかアイコンにならないというか。
赤木:うん。雨宮さんは目立つところに立って活動してるし、自分はやっぱり一歩引いてまあそういうのを観ている、観てそれをまたそういう活動は正しいし必要であろうということを書く、っていうところで側面とか後方で俯瞰してみるようなところがある。前面に立っちゃうとそこの人たちの立場を代弁するしかなくなってしまうので、自分としては、そういう人たちの立場を代弁するけれども、他の立場の人たちもいる、いろんな人の立場かあってというのをある程度広くみていきたい。まあ、ある意味それはね、八方美人的な発想なのかもしれないけれども。自分の性格として人の前面に立ってデモを率いるっていうことは全然できそうにないので、それはもう割り切って考えています。
中川:赤木さんのパーソナリティとしては、前面に立ってやるタイプではないと。
赤木:そうです。その辺はもう役割分担だと思っています。昔の言論の人たちがとにかく「俺の言論」っていうことで全部イケイケでやってたのが最近は言論をとる人でも若い研究者というのは「自分はこの立場である」と、「自分はこれは出来ないからこの人はこういうことができるんじゃないか」っていうことで、そうやって横のネットワークを広げていく傾向があると思うんですよね。そうした中で自分は側面から後方の部分でやっていくという立場をとりたいと思っています。
中川:ちなみに先ほどあのルポルタージュを書きたいとおっしゃってましたけれども、他にはどういうものを書こうと思われているんですか?
赤木:貧困だけに限らずね、いろんなところで暮らしと密着したところにスポットを当てていきたいと思います。生活とか仕事とか。