2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

濃密な文化圏を構築すること、且つ、開きつつある自意識への道程と世界の果てからの視線の獲得は可能か。

環境を作り変えることと、環境に慣れること。 環境に対するこの二つの態度には、思うほどの違いはなく、体内から何か流れ出るが流れ込むか、その違いに過ぎない。 しかもそれらは、ただ流れ込む流れ出す、というだけではなく、細やかに流れ込み流れ出て、そ…

分裂する身体、コピーロボットとドッペルゲンガー、人の限界を超えようとする望みは生を拡張する試み、すなわちその時僕らは死の近くまで来ている。

いや、当たり前のことだけど、複数のことを同時に出来ることと出来ないことというのはある。たぶん、出来ないことの中にはもうコピーロボットでも作ってそれぞれ必要な場所に派遣してその日の終わりにおでこ合わせて、ひとつの脳にまとめるということが出来…

生きるということに社会的包摂は常に含んでいるものなのか、おそらくことはそう単純なものではなくなくない、といってみたがやはりそれも包摂で、、、

どこまでも追ってくる。 もう逃げ場所はない。 何故、自己充足的な空間さえも奪われてしまうのか? とにかく、適度に放置してくれる空間はどこにあるのか?もうネットの中だけなのか?オタク文化はおそらく大文字の社会に包摂されつつあるのだ。 聖地は蹂躙…

『思想地図』シンポジウム(6月16日、新宿紀伊国屋本店7階、東浩紀・北田暁大・姜尚中・宮台真司・鈴木謙介)のレポたちを読んで。

たくさんの誤読可能性も含んでるのも承知で、僕の感想をつれづれなるままに。 ひとつの散種の結果の散種として。ぷい。「デリダの歓待の論理は、全てを受け入れようではなく、友と敵の境界を壊せということ。」 「社会、政治というアリーナは知を集めるひと…

「CLANNAD」にみる擬似家族の問題について思ったこと。

実際の家族から得られない理想的な家族像に対する満たされなさというものがあふれている。それは、家族というものが持つ精神構造に対する機能が不全であることが現れているのか、 メディアが垂れ流す家族像からの阻害が大きいのか、はたまたその両者か両者で…

秋葉原通り魔事件について

もちろんこれは痛ましい事件だ。 被害者の方々にとって、これはどうしようもなく痛ましい事件だ。 犯人に対しては厳罰に処するべきだ。 けれど、この事件を一人の「弱い」人間のおこした特殊な例外と片付けてはいけないのではないだろうか。 もし仮にそれを…

ムヤミやたらに失踪する日記、及びそこに含まれるその痛みについて。

人にはそれぞれ何か属性のようなものがあって、それはもう自分自身ではどうにもならないところというのもやっぱりあって、色々と立ち居地も模索しながら、自分の位置にあうようなところをさがしていくのだけれど、その「合う」ということと、自分がいたいと…

やっぱビジョン、これ大事だよね、それは切磋琢磨しながら築き上げていくものだけれど。

今週末の予定。2008年6月7日(土) ・13:00〜 秋吉台国際芸術村 レジデンスフェロー_01「チャールズ・リム;忘れたんじゃない、むしろ口にしないようにしてるんだ」の展示を観る。 ・14:00〜 「世界のCMフェスティバル 2008 in YAMAGUCHI」…