【『未来回路1.0』のコンテンツを少しだけ公開します】「That's 過剰姉妹!イリュージョン化するフェミニズム〜2次元と3次元のはざまで〜」

5月23日の文学フリマにあわせて制作中の同人誌『未来回路1.0』のコンテンツを少しだけ公開します。

最近、その言説の力が急速に減少しているようにみえるフェミニズム。けれども、そこにもやはり文化や生活を豊かにする要素が含まれていると思います。

『未来回路』を制作にするにあたり意識しているテーマがいくつかあるのだけれども、そのひとつはずばり「女子力」。

このインタビュー(対談)にはその可能性の一端が見え隠れしているように思います。

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「That's 過剰姉妹!イリュージョン化するフェミニズム〜2次元と3次元のはざまで〜」

1、過剰姉妹、誕生の秘話

栗田:過剰姉妹は、「栗田隆子」に良く似ているけれど、栗田隆子ではないイマノキヨコがやってるものなんです。で、もう一人、いちむらみさこさんによく似てるけど関係のないバババさんという女性と二人で過剰姉妹というユニットを作っています。詳しくは『インパクション』という雑誌の171号の特集「つながる? つながれない? フェミニズム」に『SCOOP!!!!!過剰姉妹』という過剰姉妹自らが記した報告が掲載されています。それを読んでもらえるのが一番いいのではないかって思います。過剰姉妹って「説明する」ものではなく「やる」もので、栗田隆子だから説明していますが、過剰姉妹というのは叫ぶし、歌うし、ギターも弾くし。
中川:女性ってヴィジュアル的で意識されるという面で社会的に非常に大きな部分を持っていると思うんですけれども、見られる対象としての女性って未だに強いですよね。男性はそういう部分ついてはあまり関心をはらわなくてもいいような風潮もあるし。そんな状況の中でネガティブに観られる対象としての価値を自分自身で貶めるようなことをやることによって、女性が自分自身の投影じゃないけれども、「やめてくれ」となるいうのもわかります。でも、そのような活動をやることになったきっかけとかはなんなんですか?
栗田:「過剰姉妹」誕生のきっかけですか…。
中川:きっかけですね。誕生の秘話。
栗田:誕生の秘話…。
中川:いちむらさんというのが結構、僕としてはツボに入っている感じがするんですけれども。
栗田:日本の三大寄せ場(東京の山谷、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町)と呼ばれる場所のひとつである寿町に「寿支援者交流会」というボランティア団体があるのですが、その団体が不定期に学習会を開いているですね。それで、昨年6月にその学習会で女性の貧困について取り上げたいという話があったんです。
 そして寿支援者交流会は、最初いちむらみさこさんに声をかけたんです。いちむらさんは、現在公園に住んでるし、そのような立場から「女性の貧困」について話をしてもらえないかということなんだと思うんだけど。そのときは栗田隆子が呼ばれるという話は全然なかった。でも私は、昔は不定期にボランティアで寿に行ったことがあるし、「女性と貧困」というテーマということもあって、いちむらさんが私に声をかけたんですね。
そのときの私の最初の感想は、「えー。寿って、そんなふうに女性の貧困に対してニュートラルな場所なの!?そんなふうに女性と貧困を『学習』するなんていうことをやっていいの?」と思った。だって寿にはセクハラが日常的にあったし。
中川:そうですね。そこにもやっぱりヒエラルキーが。。
栗田:うん、それは支援者の男性からのセクハラや、路上生活や日雇いをしている男性からのセクハラのどちらもあった。支援者の男性からセクハラをされると「社会を変えていこうと考えている人がどうしてセクハラなんてするの!?」ってかんじで男性や、その場所に対する不信感が芽生えるし。日雇いや路上生活者の人からセクハラを受けると、今度はどうしたらいいのかわからなくなる。自分は「ボランティア」として来ているから、その人達に対して「何かをしなければいけない」立場なのに「バカヤロウ!」って怒鳴るわけにはいかないと思っちゃうでしょう。まあ、結論としては、逆にそれこそが差別的な発想なわけで、「バカヤロウ」って、怒鳴る必要はないんだけど「いやなものはいや」と伝えることが、ほんとうに対等な相手を見るということだと、段々私自身も分かってくるわけなんだけど。
 とはいえこの問題はなかなか表面化されにくかった、というより何度も問題にはなっているけど解決されてないっていったほうがいいのかな。フリーターズフリーで一緒に活動している生田武志さんが書いた「ルポ最底辺」にも90年代の釜ヶ崎で沖縄差別と女性差別の問題が起きたということが書かれている。
 それで釜ヶ崎の活動家達がその事態を巡って総括会議を開いても、結局段々その会議そのものが尻つぼみになっていくということを『フリーター論争2.0』で話してくれた。生田さん自身もどうしたらいいかわからなくて、釜ヶ崎の活動から5年間遠ざかっていたっていうんだよね。「フリーター論争2.0」で、この複合差別的な寄せ場での性の問題についてフリーターズフリーのメンバーや山谷に関わっている人や学生さんも交えて対談している。
 でも女の人がそういう目にあったときに、いちいち声を上げるのはほんとうに労力のいることだからね。わたしもそうだったけど、やはりボランティアに行きづらくなって、自然と行かなくなるという人がほとんどだと思う。そしてよくよく考えるとこの「ボランティア」っていうありようが曲者なところがあってね。結局寄せ場はかなりはっきりとした形で現れるけど、この社会で女の人が求められるのは、「セックスボランティア」じゃないかしら。気遣いとか気配りというのも女性性だし、実際にセックスを求められることもあるわけだし(爆)。「あらゆる面で女性性を求められている空間だよね」、という話になりまして。だからそこに居辛いし、気が付けば女性達が来なくなる。そのような場所で女性の貧困をニュートラルに聞くなんてことがあっていいものかと思いましたね。まずその場の力学がまさに女性の問題を生み出しちゃってるっていう。
中川:そちらが保守層になっている。だから覆い隠したいみたいな。
栗田:問うべきは自らであって、「かわいそうな女性を助けましょう」という姿勢じゃあ、社会構造を問うなんておかしい。
社会構造を問う中で自分が問われなきゃならないでしょうという。
中川:「足元お留守」問題。ありますよね、それは。
栗田:男性・女性と二分できないけれども、自分のことは置いといて、女性の貧困を聞くなんて、それはちょっとないよね、ということになったあたりから過剰姉妹がムクムクっとユニットとして誕生しました。例えがヘンかもしれませんが、合コンで美人の女性を誘って、合コンの枠に収まる、男性も脅かされることのない穏当な会にするつもりが、美人の友人のとんでもないブスまでどういうわけか一緒についてきて、そしてその肝心の美人の女性まで思いがけない方向のトークをかっ飛ばしていくみたいな(笑)。
 そしてくどいようですが、栗田とは直接関係ないイマノキヨコさんは忌野清志郎が亡くなったショックから生まれたという定説があります。清志郎というよりタイマーズのゼリーというべきか。つまりヘルメットを被ってですね、「セックスボランティア」って赤い字でヘルメットに書きまして。まさに「緋文字」ですね。さらに格好をどうしようかと考えたんですよ。「過剰姉妹」はロリータと母を撲滅しようという話にだんだんなっていくんですけれども。

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