ゲームボード上のバトルロワイヤルの一元的思考に対する違和感について少々。

夏も終わりましたね。

あまり更新しないのもあれなので、
下記、今日、Twitterでつぶやいた内容をまとめてみました。。

10年代という時代が、ゲームボード上のバトルロワイヤルっていう時代感覚って、いまいちちょっとピンとこない。「他」なる者同士のコミュニケーションの困難さ。故に、ゲームの設定、プレイヤーとしての振る舞い。コミュニケーションの弁証法的なあり方に対する諦め。
やはり僕はどちらかというと、バトルロワイヤルよりもコラボレーションとかの方がみていても参加していても楽しい。バトルロワイヤル的な思想の持ち主が言いがちな「リアル」がどうこうというのも聞き飽きたし。

だがしかし、勝ち残り型の思考だけでなく、コミュニケーションの上で発生する変化にも耳を傾けたい。それに正直、ゲームボード上のバトルロワイヤルのように人が生きることを考えるというのは、すこし幼児的でちょっと「イタい」気もする。

僕は抑圧的な「リアル」を振りかざす言説には興味がない。現実がそうであるならば、それとどう受け取り、関わり、変えていくか、ということに興味がある。

「リアル」の大部分なんて、僕たちが作り上げているのだから、僕たちがどう振る舞い、どう生きるかで、「リアル」は変化するのだ。

そのために、ゲームボード上のバトルロワイヤルに参加することになるのかもしれない。

なんやかんやゆっても、そこに回帰するのがゲームボード上のバトルロワイヤルっていう世界観の強力なところなのけれども。

しかし、一人一人のプレーヤーの思想を深く掘り下げていくこと、またはそのゲームボードにのらない思想もあること。少なくとも僕にとって重要な「現代思想」はそのあたりにある。 たぶんその辺が僕の仕事。