続・「だめ連2.0」について考えてみた。

さて、どのように語り始めたらよいのやら。。

2010年9月12日(日曜)に行われたイベントへの感想等へのレスもそろそろしたいなーと思っているところなのですが、今日は2009年12月27日にアップしたエントリ「『だめ連2.0』について考えてみた」(http://d.hatena.ne.jp/inside-rivers/20091227/1261929266)の続編を書いてみたいと思います。

正直にいうとこのエントリを書いたことすら記憶の彼方へといってしまっていて、僕の中ではもうある程度ゆるく決断を下した事柄のひとつになっていたのですが、やはり思考と行動の痕跡をここに残しておこうと思います。

まず、「だめ連2.0」ということを考えて、その実践として制作したのが、同人誌『未来回路1.0』です。
僕はもし現在も「だめ連」というムーブメントが続行しているとするならば、考えなければならないある問題があると思っていました。「だめ連」の中心的な存在のひとりであるぺぺ長谷川さんの肩書きにもあったように、彼らの活動内容は「交流」というものでした。
90年代当初、それはとても活発に機能していたと思います。宮台真司さんや上野千鶴子さんなどの知識人たちや市井のキビシイ状況の人たちとの交流など、その横断的な交流スタイルはとても多岐に渡っていたし、同時にとても魅力的なものだったと思います。

けれども、僕はその活発で横断的な「交流」が現在もなお続いているようには思えなかった。
現在は、他のコミュニティやクラスタと同じように、近しい文化圏の人たちとの絆を深めることを中心にしているのではないか、と思います。それ以外に、意識的、無意識的な憎悪を抱えて。それが「だめ連」が出した答えだったのか、というとどうもそうとも言い切れず、「なんだろこの状態」、と思っていたのです。

世の中の状況は90年代に「だめ連」が活躍した時代から大きく変化しています。新しい社会構造、文化状況が生まれている。ならば、その変化の現場に足を運び、そこにいる人たちの声を聞き、ひとつの時代の変化を共有していくべきではないでしょうか。そういう思いを抱いていたのです。そして、その状況は、今、追い風の機運さえも見え隠れしていると。『フリーターズ・フリー』や『ロスジェネ』という論壇の一角はバランスを失ってしまっているように見えるし、そのあたりの論壇、論陣をもう一度組み直す必要がある、と思った。

そして、そのことをちょこちょこと周囲にも話し始め、早稲田にあるフリースペースでイベントを企画・運営をしたりしました。その中のひとつが「私がだめ連について食い込む2、3のこと〜だめ連2.0の射程距離〜」です。その音声データを文字おこししたものが『未来回路1.0』に掲載される、というところまで至ったのです。

が、問題はここのあたりから発生します。

イベント自体は色々予期せぬことは起こりましたが、まあ成功と言っていい盛り上がりを見せました。そして文字おこしし(出演者の方々には文章化にあたりご迷惑をお掛けしました。。申し訳ないです。。)、記事が完成したのですが、その後、その現場にいなかったある「だめ連」の中心的なメンバーの方にもそれを見てもらった方がよいのではないか、ということになり、あがった文章を添付ファイルにてその方にお送りしました。

それが大不評。曰く、「悪いことや批判ばかりしている」、「楽しかったことについてが書かれていない」、「一方的に決め付けられている」などのたくさんのご批判をいただきました。

けれども、どこか腑に落ちない。というのは、その批判があまりに抽象的で、対処のしようの難しいものだったからです。

今回、『未来回路1.0』に掲載した記事は、個人攻撃や個人の特定が不可能なものにするため多方面に気を遣いながら、言葉を選択しました。その結果、内容は少しぬるいものとなっています。下読みも何人かにしていただいていて、その人たちはもともとだめ連に関係していた人たちなのだけれども、特に問題のある表現を見つけることが出来ない記事だという感想を頂いています(そこでの会話の中でも幾つかの憶測な流れていて、その批判が記事の内容ではなく、記事を表に出す行為そのものに問題があるとか。そんな話は身内の恥を晒すようで避けた方がよいかもしれませんが、政治の現場でよく起きる陰険さと同じような構図を読み取ってしまいます)。

その後、僕はそのトラブル事態も向き合うべき問題として考えていました。やはり、あの「だめ連」というムーブメントによって決定的に傷ついた人がいる、ということなのだと思いました。そして、そこに向き合うことがある種の「遺産相続」にもなるのではないかと。8月に長野で行われた「なんとかフェス」でのトークイベント「加齢を考える」もそういった意図のもとに開催しました。

けれどもこの8月のトークイベントを境にして、僕は「だめ連」という名称にこだわることをやめました。
それは、だめ連の中心メンバーは、もうその場から動くことはないのだ、ということを改めて思い知ったからです。(このトークイベントを文字起こししたものを『未来回路2.0』に掲載する予定です。掲載の許可がおりない場合は、僕のパートだけをまとめて掲載したいと思います。)

と、ここ半年くらいの「だめ連2.0」計画の流れは以上のような感じです。

正直、とてももったいない。今でも、10代の人たちに「だめ連」の話しをすると食いついてくる人が多いし、受け入れられるポテンシャルは持っている。それだけに残念に思います。

もちろん、かといって僕が上記のような活動をやめるわけではありません。
これからも「今、これが重要!」と思うものをどんどんアウトプットしていきたいと考えています。

よろしくです!

ではでは。。