『絶望の国の幸福な若者たち』(古市憲寿 著)と希望の話。

絶望の国の幸福な若者たち

社会学者、古市憲寿さんの新著『絶望の国の幸福な若者たち』を読みました。書かれるべくして書かれた書籍、そんな感想です。
僕の中に散乱していた幾つかの点が結ばれ線となり、さらに面が示唆されたように思います。

この本は以下のような主張から始まります。ちょいと要約。

日本の経済成長の停滞は若者たちを不安にさせる一方、「より幸せ」を諦めさせることに繋がって、その諦念が「自己充足」(コンサマトリー)を生んでいる。
そして、現代はとても恵まれたインフラや生活環境が揃っていて、そのこともまた「幸せ」を感じさせる要因となっている、と。

また、若者たちが幸せな理由の本質を「仲間」に求めています。
その象徴として『One Piece』が挙げられていたのが印象的でした。古市さんは『One Piece』の物語のテーマを「仲間のために」、としています。
この「仲間」という言葉はこれからの日本社会を考えていくにあたり、さらに重要なキーワードになっていくのかもしれません。

家族社会学者の久保田裕之さんは著作『他人と暮らす若者たち』の中で、シェアハウスにおいて家族ではない「他人」と共同生活をすることの可能性を以下のように指摘しておられます。

他人と暮らす若者たち (集英社新書)

・他人との協力の中で生活することで、一人暮らしでは得難い自立が可能になること。
・「甘えない」が「寂しくない」という関係が、家族からは得難い親密性を形成することになること。

そして、ここにシェアハウジングの実践の今日的な意義付けが可能なのではないか、というのです。

古市さんは現代を「一億総若者化の時代」と表現します。
それは、従来型の「正社員」「専業主婦」という既存の社会が前提とした「大人」になれない人たちは、年齢に関係なく「若者」、ということです。
これが新しい「若者」の定義であると。
そのような「若者たち」が仲間内で充足しているの見るのが、あまり心地良く思われない人も多いかもしれません。
けれども、この「仲間」を中心に生活を作り上げていくということはもしかしたら、おそらく10年、20年後に来るであろう「若者の貧困」問題へのしたたかな準備となるかもしれません。
環境への敏感な適応、といいますか。

もちろん、親密圏と公共圏を繋ぐといったような「開いていく」ことも必要だと思います。そのことは古市さんもちょっと触れている。
でもこの二つを繋いでいくことは、多分そんなに大層な仕掛けなんてしなくても行われていくと思います。
おそらくは、親密圏をサポートする形で公共圏がアレンジされていくことが理想的なのでしょう。
制度上の問題は本当に山積みだと思うけれども、それは「社会構造の実態や変化とともに考えること」を地道に続けていくしかないのでしょう。

本書は、現代日本を語る上でとても重要な視点を提供していると思います。
少なくとも、現状における「若者論」の最先端のひとつと言えるのではないでしょうか。