分裂する身体、コピーロボットとドッペルゲンガー、人の限界を超えようとする望みは生を拡張する試み、すなわちその時僕らは死の近くまで来ている。

いや、当たり前のことだけど、複数のことを同時に出来ることと出来ないことというのはある。たぶん、出来ないことの中にはもうコピーロボットでも作ってそれぞれ必要な場所に派遣してその日の終わりにおでこ合わせて、ひとつの脳にまとめるということが出来ない限り出来ないこともあって大変だ。

まあ、それが自分の人生にとって大した意味のようなものがないとしても、予定が取り合えずはうまっていることで安心することもあるのだけれど、なんだか、全てさらっと上辺だけを撫でているようで、つまんないなーと思い出した今日この頃で、まあ例えば食事会にいって僕より20くらい年上の人の半生記を聞いて、その真っ直ぐさとなんだか本当に神さまがいて、真剣に生きている人には手を差し伸べてくれるのかなあとか思ったりもするけど、ん?それっと統計的にとうなの?とか口に出さないけど思ってしまう僕はかなりの重症さだと自覚してしまうにいたる。

つまりは僕はどこか不幸体質のようなところがあって、且つ又、妙に運がいいところもあったりすることもあるのだが、大体の場合、運を逃していくさまに運の悪さが現れている気がしていて、それこそ僕の半生なのかもしれない。願わくば、ここから死ぬまでの間は、何とか運良く行きたいものだ。
なんといっても、まあ、少なくとも僕が会ってきた「成功者」とみなされる人々は皆運がいい。なんで?と思うような偶然が重なるような人が「成功」している。やはり人生、ギャンブルっぽいところがあるのだなぁと思うのだけれど、「成功」して本人はそれは必然のように思っているところがあって、それってなんだか、某ブッシュさんみたいだなぁとも思うのです。
とか言ってる間に僕に幸運が訪れることはないのかもしれないなとボーと思いつつ今日のところはこれで眠りへと向かおうと思います。さて今日はどんな夢を見るかな。もしかしたら僕の今日の僕の頭は起きている時よりも寝てる時の方が回転がはやいかもしれない。