「だめ連2.0」について考えてみた。

90年代の「だめ連」からゼロ年代の「素人の乱」への流れ。
これは都市部におけるオルタナティブの抽象的なあり方から具体的なあり方へ流れともいえるものだと思います。

90年代に提示できなかったオルタナティブを提示することのできたゼロ年代。その意味で何も無かっただなんて囁かれる巷の評価とは違い、ゼロ年代は大きな変化があった時代だったといえるかもしれません。

けれども、僕の中にひとつの疑問が残ります。果たして90年代に提起された問題系は乗り越えられたのだろうかという疑問です。ここでいうと、問題系の中で90年代の「だめ連」が持っていた問題意識の中にゼロ年代の「素人の乱」が持っていないものがあるのではないか、と。例えば、「ココロ系」問題とか。

「だめ連」はだめをこじらせないために集まり交流し考え行動するムーブメントでした。けれども実際にはだめを開き直れる、つまり、だめでいいのだと考える人々の溜まり場となっていってしまった側面が強いです。そこは社会の負の部分が集まる場にもなっていて、一般よりもエグい暴力の場となっていたりもしました。

そして同時に、世の中ではフリーターや派遣といった労働形態が一般化していき、だめ連が提示していたあまり働かなくて多くの時間を好きに生きるということも普通のことになってしまい、運動としての「だめ連」は現在、機能していないといっても過言ではないでしょう。しかし現在でも、「だめ連」には考えるべき問題系がそのまま残されているようにも思われます。「非モテ」vs「リア充」の問題系の先駆的な存在でもあったし、「素人の乱」のような脱力系スタイルもだめ連からの影響が強いのではないでしょうか。あまり知られてはいないと思いますが、日本の文化運動の中で非常に重要な意味のあるムーブメントだったといえるでしょう。

素人の乱」は「だめ連」が提示できなかったオルタナティブの生活における実践の形の具現化にある程度、成功をみているように見えます。けれどもそれは、基本的には階層文化の生成を意味しているものです。<貧乏人/金持ち>。このわかりやすい構図も受けがよい要因のひとつでしょう。いつの間にかブルーカラーとしてのキビシイ生活を余儀なくしているような、いいかえれば搾取されるような立場の人々が如何にのびのび生きるための場を生成するか、そのことに意識が注がれている。

そこではアンチ資本主義文化としての色彩が強く意識されています。けれども、そこに長い期間に渡って(つまりブームが過ぎても)、乗っかっていくことのできる人は稀なのではないだろうかとも思うのです。一見、サスティナブルさを感じることのできる運動なのですが、そこには若者文化として終わってしまう可能性はないのだろうかという危惧もあります。加齢問題(加齢でノリ的についていけなくなるとか、気持ち悪がられるとか)など、その問題の表象の一例としてみてもよいものかもしれません。〈普通〉を巡る闘争、それはその運動の中でも存在するのです。排他的になれば、オルタナティブの体制は保持できるかもしれません。つまり、イケてる人たちだけでムーブメントを組織する、と。現在、その傾向は強まっているかもしれません。コミュニケーション能力が高く受けのいい人たちの居場所になっていく。そして、そうなってくるとそこから零れ落ちる存在が現れてきます。そのどこにも居場所がない感じの人たちが、在特会とかに流れている感じもするというと言い過ぎなのかもしれませんが、その可能性はゼロではないのではないでしょうか。

で、10年代の「だめ連2.0」へ。

そのムーブメントのひとつのテーマとしてはいわゆる「変態性」の拡散を挙げることができるかもしれません。マイノリティ性をどう考えるか。それらが社会の内側へ何気なく侵食していくようにしていくこと。そういったムーブメントの可能性とかを考えてみたい。

そして、新たなコミュニケーションのあり方と社会性の生成の可能性について。たぶんそこではネットとの関係が重要になってくるでしょう。

あーだこーだありますが、とりあえず、90年代における「だめ連」の総括から始めることにしてみたい。



まぁ、そんなこんなを考えているのは、一つは個人的な要請からでもあるのです。というのは、早稲田のフリースペース「あかね」のスタッフに返り咲いてからもう半年くらいになるのだが、慣れてきてやっることの意義みたいなものが欲しくなってきているのです。現在、はっきりと「あかね」のスタッフというのはボランティアなのです。そこに基本的にスタッフには金銭が発生していない。んで、働いているわけですね。もちろん楽しく過ごせることも多いです。けれども正直、嫌なこともあるし、ほかのイベントとかち合っていて、そちらのほうに行きたいこともあったりするわけです。そうするとやはり、「僕はこの為にやっている」という意義とか意味のようなものが欲しくなるわけですよ。それはまあ、普通のことなのではないでしょうか。

ということで、この「だめ連2.0」なのです。
これをなんとか僕がスタッフを続けていくモチベーションのひとつにしていきたい。

まずは、「だめ連」の総括をして、そしてその次に「素人の乱」において零れ落ちているものについてを考えてみたい。

来年、だめ連総括本を同人誌で作ってみたいと思います。

…たぶん出来る、いやきっと出来る。。
この「2.0」といういいかたが旬(?)なうちに作りたい。。