もうひとつの民主主義の可能性、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(東浩紀 著)

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル


近年、情報技術の発達によって可能になった情報速度や人の繋がりが、社会的なうねりとなって有効に機能している、ということがよく言われている。例えば、中東などで起こっている市民革命の盛り上がりにその影響を指摘する論調も多い。そのこともあり、情報技術を利用した民主主義の可能性という話をすると、まずその国際的な市民運動の盛り上がりの文脈が意識されるのは、ある意味当然のことかもしれない。けれども、本書で問題とされているのは、そのような社会情勢とは別のところにある。情報技術が張り巡らされた社会において、民主主義や政治のイメージそのものが変わってしまうかもしれない、としているのだ。

一般的に情報技術の可能性としてよく挙げらるオープンソースの理想は、「熟議」を前提としている。けれども、それはこれまでの民主主義のパラダイムの枠の中での話でしかない。そしてそのパラダイムは今、機能不全に陥っている側面がある。そこで、著者の東浩紀さんが提案しているのが「無意識民主主義」というもうひとつの民主主義の可能性についてなのだ。
「無意識民主主義」とは大衆の無意識を情報技術によって可視化し、その分析を政治の場に活用する、というもの。その活用により、従来の「熟議」を前提にする民主主義の限界をこの可視化された「無意識」を使用して補おうとする。密室化する熟議の場を可視化することによって、熟議の暴走(理性の暴走)を抑制することが可能になるのではないか、としているのだ。

この「無意識民主主義」には他にも大きなメリットが存在する。それは政治参加へのコストを劇的に下げることができる、ということだ。現在の敷居の高くなってしまった政治参加とは別に、激安の機能制限版普及型政治参加パッケージを提供できるのではないか、と東さんは述べている。

ここで重要になるのは、具体的にどのようにして大衆の無意識を可視化し、専門家の熟議の場に介入させるのか、ということである。そこで例として挙げられているのがライブストリーミング動画共有サイトの「ニコニコ生放送」だ。「ニコニコ生放送」では、会話の行き先の範囲が視聴者の欲望によって枠付けされているという感覚があり、ここに「熟議」と「無意識」の相互作用が上手く機能しているカタチが現れているのではないか、としている。

さらに、このような「無意識民主義」が、この日本という「場」から提案されることの重要性も指摘している。

熟議を前提とする西洋由来の民主主義は日本人には向かないのではないか。その一方、日本人は「空気を読む」ことに長けているし、情報技術の扱いにも長けている、と。ならば、適性のない「熟議」に固執するのをやめて、「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎を据えるような社会システムを構想したほうがいいのではないか。ここに日本が民主主義後進国から民主主義先進国へ一発逆転する、という「夢想」が示されている。

もしかしたら読者は、ここで示されている情報技術によって可能になる民主主義社会の姿を無味乾燥なもののように感じるかもしれない。しかし、東さんが示そうとしているのは、とても人間臭い社会観なのではないだろうか。理性の力だけではなく、動物的な「憐れみ」の力をも利用して社会を設計すること。それは代議制と熟議に過度に頼った社会設計よりも、包括的な社会設計になるのではないかと思えるのだ。

本書は、50年、100年先の未来を見据えて書かれている。逆説的ではあるけれども、今、私たちにはそのような先を見通すための想像力が必要とされているのではないだろうか。