メルティングポットからサラダボールな人間関係へ。

最近は、自分のクラスタを意識して人と会ってみるということをしています。
こう書くとまるで、自分の狭い認識範囲から出てこない人みたいに思われることも多いでしょうが、全く反対です。もう自分がtwitterとかfacebookで出会う人の傾向とか分かってきたんですね。それはそんなに広い範囲でもない。もちろん、ソーシャルメディアが登場する前と後では、出会いの最適化具合とか頻度とか飛躍的に変化していると思います。けれども、それにもそろそろ限界が見えてきた。ただ大きめの内輪が出来てるなーって感じです。それが自家中毒のような感じになって来たんですね。何だか、同じところでグルグルと回っている感覚がある。このことはもちろん、最近のネットでのパーソナライゼーションの問題と無関係ではないでしょう。

そこで、自分のガチのクラスタという別のレイヤーで世の中を観てみようと思ったわけです。今、僕のソーシャルメディア上に形成された繋がりはクラスタ感、ほとんどありません。それはごく最近まで、自分の所属するクラスタとかコミュニティを意識せず、むしろそういうところに引きこもること自体に居心地の悪ささえ感じでいたからだと思います。その結果、ただ、自分を規定する人間関係だけが育ってしまった。

自分と似た経験を持ち、かつ全く自分とは違う人生を歩んでいる人たちに関心が移ってきた、というか。最近は、facebooktwitterもしていない友人とか増えてたりします。これが結構新鮮。先祖帰りっていうことでもなく、当然、その人たちも同じ時代を生きているのです。そして、別の観点から今の時代を眺めていたりします。

なんだか、そう考えて生きていると大きな荷物を一つ下ろせたような気がしているのです。どんなに社会的に規定され僕のことを見知っている人に規定されようとも、僕はただ1人の人間でしかない。様々なしがらみとか感情の中でお前の居場所はここなんだって、暗黙のうちに言われるような日々を過ごしているけれども。だから、身近な人たちではなく、共通言語を持ちながらも、圧倒的に遠いような関係、そのような関係を求めたりするのです。もちろん、そこで仲良くなってそこから日常生活の中に組み込まれていく人たちもいるのだけれども。