人見知り2.0。

 僕は人見知りが激しい。といっても、多くの知り合いたちはそれをあまりまともには信じないだろう。けれども、実際そうなのだから仕方がない。

 ちょっと説明しよう。確かに僕は人とのファーストコンタクトに関しては相当に垣根が低い、それは事実だ。初めて会う人とかでも余裕で話しかけるし、その逆に話掛けられることに関する許容範囲もめちゃ広い。しかし、そこから一歩踏み込んだ関係に至ると突然、人見知りしだす。

 そのメカニズムはこうである。
 初めて出会う時、基本的に僕の中の意識として、視線は一方的にこちらから相手側に投げられている。もちろん、あちらからも視線はこちらに投げかけられているのだけれども、それはあまり気にならない。まず、こちら側から認知することがあって、そこに相手があるところから始まるのだ。不特定多数の1人として。
 それが一対一の関係になってくると、相手から自分への視線を強く感じるようになる。それまで一方的に見ていた視線がこちら側に向けられてくるように感じられてくるのだ。そうなってくると、突然、恥ずかしくなってくる。個人としてその人と向き合っているという感覚、それはとても照れる。それぞれの人生における経験や知識ががそこで出会う、ということにとても恥ずかしさを感じるのだ。
 そこに何とも言えないエロスを感じる。例えば、大概の人々は人前でキスとかするのは恥ずかしいと思うだろうけれども、それと同じくらい恥ずかしい。まったく異なった情報の集積と算術の総体がそこで出会い、交流し、混じり合い、変化していく。それはとてもエロチックなことのように思えるのだ。その辺の感覚を人に説明してみても、あまり納得してもらえないことが多い。

 それがただプライベートな場合にだけ適応される現象ならば、それはそれで一個性として問題はないと思うのだけれど、問題は普通にパブリックな場合においてもそうなのだからたちが悪い。例えば、酒の場ではあんなにフランクに話をしていたのに、その後にあることろであったりして挨拶とかしても素っ気なかったりしたことないですか?結構、色々話しとかしたし仕事もちょこちょことしたのに、何だか素っ気ないなぁと思う人がいたら、それは僕が恥ずかしがっていると思ってもらってまず間違いないです。たぶん、嫌われてるのかとかそういう風に思いがちだとは思いますが、基本的にはそんなことはまったありません。僕は悪意とかおそろしく欠落した人ですし。エンジェルハートです、基本的に。ちょっとこれではいけないなぁと思うくらいに。ちゃんと怒りとかの感情を形にしてドロップキックとか繰り出すべきだと思いますね。

 しかし、まぁ、そういう恥ずかしがり屋のところはちょっとずつ直して行きたいと思います。普通に仕事とかに支障がでそうだし。。